ダメシ添加大戦

死にたみマックス! アザラ死ちゃん!/元夫マルセイと暮らすバツイチ日記

No.1125 人間怖いね

パンを踏んだ娘ってどんな話よ?

ちょい前にパンを踏んだ娘を思い出して怖がっていたのだが、その怖さはなんというか「キリスト教」への恐怖(理解できない)であったように思う。罪を犯しても罰を受けたら許されて欲しいのが人情ではないだろうか。日本人的に。主語大きくしてみた。どうなの?w
アンデルセンの創作童話らしい。時間のある人はyoutubeで動画を見てみるといい。怖いぜ。

パンをふんだ娘 前編.wmv

パンをふんだ娘 後編

人の脳内編集による恐怖の追加

はてな小野小町

小野氏はこの話を村八分による迫害。人間怖いねー話として認識していた。


あらすじで紹介したサイトを見てみよう

インゲルが慢心のために底無し沼へ沈んだ話は人々の間で語り草となり、その様子は地獄に落ちたインゲルの耳にも伝わって来た。そして、インゲルの母が愚かな娘を持ったことを嘆きながら死の床に

パンをふんだ娘 - Wikipedia

 その頃、地上ではインゲルのうわさが広がっていました。
 沼に沈むのを、ウシ飼いが丘の上で見ていたのです。
「バチ当たりめ、パンを踏むからさ」
「あの娘は、もともとそんな娘だったんだよ」
と、誰も良い事は言いませんでした。

パンを踏んだ娘 アンデルセン童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>

なんというか、主人公インゲルだけではなくて親御さんも苦労してそうな描写が見受けられます。おそらくここが小野氏の「怖さポイント」だったのでしょう。そしてそこから火曜サスペンスへw

遠藤さん・・・なぞのアレンジャー

ちゃんとサイトを読み込んでないのでなんとお呼びすればいいのかわからないので、アレンジャーと呼びます。
4月のお話 パンを踏んだ娘
ここにある話も同じモチーフなのですが微妙にアレンジされているのです。
後にパンくずを咥えることになるインゲルがパン屋の養女になるのもなんだか因縁強めるようなアレンジですし。
逆に実家へのお土産としてもらったパンが実家から奉公(ですらないのか)先へのお土産になっているのも不思議なアレンジ。
インゲルの罪を説教したり許したりする声の存在のアレンジ

時代によっては こういうことが いわゆる”女子教育”だったんですね。なんとも単純な・・!

4月のお話 パンを踏んだ娘

とアレンジャーが言ってますので、アレンジャーにとってはそれが「怖さポイント」だったのかもしれません。

地主さんのところでは まず 長くて退屈な 牧師さんの説教があり、続いて お祈りを覚え 読み書きの練習をし、テーブルマナーを学びながらのお昼をはさんで、縫い物とお茶の時間を過ごしました。でも インゲルには 自由に話をすることは 許されませんでした。

4月のお話 パンを踏んだ娘

とやたら具体的に書かれているのもアレンジャーの心理が反映されているのかも。

もとの話の中の地獄の描写は、ざっと書くとこんな風です。

4月のお話 パンを踏んだ娘

と地獄の描写を続けているのですが、それもアレンジなんだよなぁ。確かに魔女だの何だの出てくるより

銀蝿が這うのを 手で払いのけることも、瞬きして追い出すことも出来ず、気持ち悪い、いやだ、助けて と叫ぶことも出来ずに その感触を感じながら 冷たくなっていくからだとともに、じっとしていなくてはならない・・。

4月のお話 パンを踏んだ娘

地獄のほうが嫌だろうなぁって思いますけどもね。

内容その他は でも 例によって 遠藤の記憶が元ですから、適度に 脚色してあるということは ご承知おきください。

4月のお話 パンを踏んだ娘

と本人も言ってるので、アレンジすきなんだろう。


私はなんだかこの「アレンジする心」が怖いw サービス精神でもあるだろう。良かれと思う「愛」でもあるだろう。私も頻繁にやってしまうことだ。だから怖い。

罪を自覚し、償うことが、天国への道なのかもしれない

生まれてきた罪を自覚し生きることで償い、天国へ召されるのです(違う)

さて、インゲルは自分の罪を自覚したのでしょうか?
ウィキペディアでは反省してません。

インゲルはたかがパン一切れのためにどうして自分が地獄へ落ちなければならないのかと全く反省しなかった。

パンをふんだ娘 - Wikipedia

パンを踏んだ娘 アンデルセン童話 <福娘童話集 きょうの世界昔話>
でも反省の描写は見られません。
アレンジャー版のは

インゲルは 声の言うとおりだと思い パン屋の夫婦にした かずかずの ひどい仕打ちを思って ふかく後悔して泣きじゃくりながら、許しを求め、罪を償えるかどうか 訊ねました。 

4月のお話 パンを踏んだ娘

とやたら饒舌です。


インゲルは本当はどう思ってたんだろうね?
永遠の命を求める人にとってはインゲルはある意味永遠の命状態だったようにも見えるんじゃないだろうか?

キリスト教の赦し

彼らは水に流さない

僕らは赦すって言ったらもう水に流してそれは無かったことにしようぜ! 的感覚を共有してませんか?

僕はあの男を許したかもしれない。でも、たとえ許されたとしても、自分のしたことの償いはしないといけない

「赤ちゃんの自分に父親がエイズウイルスを注射した」 そして24年 - BBCニュース

これを思い出した。赦したからこそ、罪は償われなければならない。
キリストによって贖罪され人間は赦されたのでしょうか?
はてさて。異文化だなぁ、と思うのです。